皆様は、自分以外の人と接する場合に対価が必要と感じる人ですか?
今回はそんなお話。
最初に書いておきますが対価と書きますと、お付き合いをするお金の話と
思うかもしれませんが目に見えないもの全般をこの記事では対価と表現します。
さて、人と一緒にいる、話すは対価が必要。
これは誰かと一緒にいる室内でギスギスをしないで最低限普通に居られる。
それの努力をしなくてはならないの意味である対価。
挨拶をしたり、人にイライラの刺激を与えない言葉を使わない、
表情に気をつける、自分がイライラをしていても他人に気を遣わせない努力。
それを見えない対価として支払っているから
皆で協力をして、ピリピリしないで過ごせる見えないもの。
日本では気遣い、心配り、和を作るなどの表現になる。
それを何を勘違いをしているのか無賃で自然に当たり前のように
受け取れると思っている人がいる。
「 私がどんな振る舞いをしようとも、私に気を遣え 」 という類の人だ。
自分か鏡に映っている自分以外は誰にでも対価を支払う必要がある。
家族など親や子供、ペットはもちろん、他人、顔見知り、
同僚、上司、部下にも当てはまる。
最初は、誰しも気分が優れない、イライラするはあるから
しょうがないという風であり、いわゆる対価を支払わなくとも
態度にせず我慢している。
けれどもそれが、毎日のように
「 相手に気遣いを無賃でしろ 」 という横暴な態度をしていると
何だこいつは?という具合になる。
周りが自分の身を削って対価を支払っているのに
対価を支払わずに一方的に受け取ろうとする。
これがよくない。
これは日本の国民性であり同調圧力という表現もされるが
皆で平和な空間を作っているのに
自分だけ好き勝手に行動し、和を乱して、それでいて私を好いてくれ。
それは通らない。
皆で好き勝手やっていて、自分も同じようにやるなら問題はない。
自分を嫌いでかまわないというなら話は別であるが
自分を好意的に見て、大事にして、尊重してと表現していてそれらを行うは
「 見えない対価を支払わないのですか? 」 の表現になる。
たまに、この類のテーマを扱う雑誌や漫画などがある。
表現は様々でありますが
「 貴方が我が儘を言うのは勝手ですが
その我が儘を通すという事は、誰かに我慢を強いているのですよ?
それに最低限の感謝や誠意を示してもいいのではありませんか? 」
この様な表現ですね。
皆が、言葉にはしないけれども態度などで示しているのに
気づかなく、軋轢を生み、我慢をしていて、
見放すというレベルで上を表現される。
「 なんでそういう酷い事を言うの?
今まで、そんなことを一言も言ってないじゃない! 」
となると、終わるわけです。
え、今の認識がそれなの?ていう。
これも付き合いを辞めるのに、最後の対価として相手に伝えるわけです。
自分が得もしないのに、とても優しい方なのです。
通常、そういう相手へはわざわざ伝えません。
だから本人は普通に周りから接されているのに
ある程度の期間が過ぎるとみんな離れていく。
「 どうしてだろうな?私は何もしていないのに? 」
こういう話になります。
繰り返しますが、それはお金ではない
目に見えない類の対価を払っていなく、自分だけ受け取っているから。
以上。
この記事へのコメント