ブログを執筆していると面白い現象に出くわすことがある。
記事を執筆、完成して何回か見直し問題がないとの認識で投稿する。
翌日など時間を空けて読むと
これは良くない表現なのではないか?で修正する現象。
考えるに、基本的には自分の考えたことを
自分で間違っているとの認識が薄いのではないか?
簡単な例ですと学校で、これが分かる人~で手を上げて答える。
答えた後に、自分の答えが正しいとは思ってないですとなると
ではどうして手を上げた?になる。
会社の会議で提案をしたとする。
周りではご納得の様子だが、実は全く会社のためにはならないで
やってみれば分かるけれども失敗しますよと発言。
何を言っているのかな?という事案になる。
なので、ある程度自分の考えをまとめた物は
表に出していいものであると認識している。
なので冒頭の自分の書いた記事を自分で読んでも
どこが悪いのかが分からない。
翌日になると自分が正しいと思い書き出した物の熱が冷めていると
考えれば客観視をして読めば良くない表現が見つかる。
これをブログではなく、口で発言していると考えれば
自分の考えは正しいで発言している物は
自身でのチェックをすり抜けている可能性が高い。
会話をしていれば文章とは比べものにならないレベルで
頭を回転させなければならない
話しについて行くレベルのリアルタイムで。
なのでどうしても会話には良くない表現が混じる。
自分も相手も。
なので、それを理解していれば
少々の良くない表現が混じっていてもそれは悪意のない言葉であると
自覚していればストレスにならない。
逆の言葉の端々を言葉通りに受け取ってしまうと
そんな表現あり得なくない?となり喧嘩になる。
そういう表現をしたつもりはなかったと弁明するのであるが
口に出した物は戻らない。
かといって口を出すのに深く検討していたら
話が途切れ途切れになり会話にならない。
どこかで思考を打ち切らなくてはならず
思考を打ち切れば良くない言葉が入り込む。
なので、自分と相手が発する言葉は、基本的に間違っているとの
認識を持った方が良い。
内容ではなく表現のブレがあるという意味合いで。
そうすれば余裕が生まれ、不要な摩擦を作ることもない。
言葉は悪いが重箱の隅をつついても誰も幸せにならない。
人の人を指摘するのはいいが、貴方は完璧なの?
と言われれば自らに帰ってきてしまう。
人間、完璧に言葉を使いこなすのには無理である。
自覚してしまえば楽だ。
人の言葉を余裕を持って聞き、余裕を持って話せる。
そのような世の中であれば、SNS での言葉の刃という類も減るのではないか。
以上。
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