こうしてブログを書いていると、
文字は思った以上に力があると実感しており
同じく口で発音する事でもです。
今回は、この言葉を軽視しすぎている人のお話。
さて、普段なにげに発している言葉ですが
何でも話せばいいという物ではない。
一人でいるというのなら、何を話していてもいいのですが
誰かがいる、集団でという類なら言葉を選ばなくてはならない。
自分が思った事を何も考えず
言葉として発するという人は特に。
これらの人が発するは自分の考えのみで構成されており
周辺の人への配慮がありません。
人が聞いてどう感じるかの考えがない。
ですから聞いていて不快ですし 「 黙れ 」 という話に。
誰もが自分の意見を殺して我慢している状況
周りの和をとり平穏に済ましているという状況でも
口が軽いと表現される言葉で発してしまう。
これが皆のためという状況なら問題はないのですが
自分が感じた、自分のための、自分の意見の押しつけ、
わがままな類を口が滑るように伝える。
その結果、どうしてなのかな?という部類になる。
「 自分の発している言葉の意味がわかっていない 」
こう表現されます。
これは自分の話している意味がわからない
という意味ではなく
「 自分が発した言葉で周りに与える影響を考えられない 」
こちらの意味合いになります。
簡単表現すれば、その人がいるだけで
その部屋の空気がピリピリする。
その人がいるだけで不快と呼ばれる集まりになる。
こう表現されます。
なので、それらを毎回のように繰り返す人とは
付き合いきれなく、誰も注意しない。
注意をしないから 「 何で?どうして? 」 という状況。
何より自分がやらかしているという考えはないので
どこに行っても同じ扱いになる。
繰り返す 「 どうして? 」
話をしても言葉を濁され、正直に指摘してくれる
とても有り難い 「 貴方のため 」 と考える人の意見を批判する。
「 そんな訳はない、貴方たちがおかしい 」 と。
それにより負のループが起き、より悪い流れになっていく。
これは誰のせいでもない、その人の事なので誰も指摘はしない。
そもそも指摘しても 「 はぁ? 」 で終了する。
「 悪いところがあったら指摘して? 」 などと言っても
そのような嫌われている人に正直に指摘する訳がない。
何の利得もなく、指摘した本人には批判され、嫌味も当然言われる。
指摘する意味すらない、お互いに嫌な気分になるだけ。
自分に指摘されなく注意もされない。
しかしながら悪い空気は感じる、という状況で
到達するのは 「 ボス的なアイツが自分に嫌がらせしている 」
端から見れば完全に理不尽な八つ当たりであり
それも周囲には丸わかり、筒抜けであるから
さらに反発が進み、集団から排除される。
再び繰り返される 「 どうして 」
少し冷静になればわかるのである。
行く先々でトラブルになり排除をされる。
上で言うボスが毎回自分に目をつけるのか?という確率。
同じ町のボスがいて 「 こいつが来たら集団で排除しろ 」
という状況ならわかる。
しかしながら、別々の友人、別々の職場。
バラバラな人間の集団で自分だけ排除されるというのであれば
その原因は自分でしかない。
自分でしかないのに自分ではないという
妙な自信があり、人の話、忠告類を無碍にするというタイプであれば
今書いている人の流れになる。
当然のごとく本人が変わらない限り改善はない。
そして心を入れ替えて 「 皆と仲良くします 」 と話しても無駄である。
何故無駄かと申しますと
「 自分の発言がどういう影響を与えていたか 」 と
本当の意味で理解したのであれば
「 心を入れ替えました 」 と表現してハイそうですかで
仲良くなるなどは、映画や書物の中でやって頂きたい。
それほどの言葉を使用していたのです。
「 どうして? 」 ではなく 「 必然 」 です。
少々強い言葉を使うのを許されるのであれば
「 どれだけ人を馬鹿にするのかな? 」 と表現する。
さて、お話はこれで終了でありますが
冒頭の言葉を覚えていますか?
>自分が思った事を " 何も考えず "
このレベルの表現でも人によりイラッときたり
和を重要視する人は 「 余計な一言を発するな 」 という類の言葉。
上の一文はわざと、意図的に使用いたしました。
最後のまとめとして説明するために、です。
ご不快な表現をいたしました事に対し
ご不快になれられた方へ、深くお詫び申し上げます。
以上。
この記事へのコメント