自分の意見を相手へ伝えるのに表現の仕方で
「 絶対/必ず/常識/人間は 」 という類がありますが
やめた方がいいと思うんですね。
例えば 「 絶対/必ず 」 との言葉ですが自分から見たAと
相手から見たAは同じではないんです。
なのでAは絶対Bだ!と言い切ることは難しい。
絶対=100%間違いないという事ですので
「 私の意見は100%正しく相手の意見は100%間違っている 」
こう表現しているのと同じでこれでは人間関係が崩れてしまいます。
相手から見たら何を話しても100%自分が間違っていると
言われる相手と接している意味などないのですから。
他の人と接して普通に接してくれる人がいれば問題ないわけです。
もう1つは 「 常識でしょ? 」 という話術です。
自分の発言を人間の基本的原則である 「 常識 」 に格上げをして
私の方が正しいのである!という表現です。
対等に話している間柄で相手が
「 私の意見は常識であるから従うべき 」
こう表現をしてきたらどうでしょうか。
常識という類は確かにありますがそれは
人間社会を構成していくための最低限な守るべきお約束であり
自分の意見を正当化する為に 「 常識 」 との言葉を使うべきではない。
最後は 「 人間なら~すべき 」
人間ならこちらの意見がわかるでしょ?
わからないのは人間ではないので、貴方は人間でしょ?
こう表現しているのです。
おまけとしまして
私の意見は大多数の人が支持をしてくれている、
私は人類の代表意見である!という語尾が大きすぎる表現もあります。
個人の ○○ のお話なのに
自分の後ろには人類全体のバックアップがあり
貴方の意見は間違っている!との意味ですね。
なお表現を濁しているのはこの類の言葉は思ったより多く
何気に相手へ対し使っている場合があるので
この記事の表現だけを気をつければ良いんだ?
というお話ではないので。
今では、色々と複雑に絡み合っているので
変化をしていますが性別を表す「 男/女 」 など
完全に必要だという場合以外は使わない方が良さそう。
典型的な例で言いますとこれらはNGとの私な認識です。
「 女は楽で良いよな 」
「 男は仕事だけしてれば良い 」
-----
まとめ:
これらの表現を口癖のように相手へ伝えていて
関係が上手くいくと思っているのは発言者本人であり
それを聞いた人、少なくても私であれば
近寄りたくないと思います。
「 聞いた人という大多数 」 ではなく
「 私であれば 」 という個人の意見です。
私の意見は私がそう思うであり
他の人に支持を受けなくても問題はありません。
私の意見は絶対ではなく、必ずという類でもない。
常識という内容ではないし人間でなくても
協力的である意思疎通、もしくは平穏な会話を望む限りは
可能なのではないでしょうか。
以上。
この記事へのコメント