ブログやツイッターなどの表現の強さを正面から受け取りすぎるは悪影響な場合も。
暇人日記。
皆様はブログやツイッターなどで何かを読むのは好きですか?
私はブログを書いているので時間があれば何かのネタになるかな?と
観覧しております。
ブログを書いていて、他人のブログを読んでいて気になるのは
読者が記事に興味を持たせるために使われる表現の強さです。
私は過度な表現を使いませんが、様々な興味をそそられる文字たち。
ニュースなどではかまわないのですがインスタなどのキラキラした人々の生活や
その周辺、特に努力な類の表現には注意が必要かな?と思う。
例えば何かをやり遂げたでは
自分は弱い人間であった → 苦難がありそれを乗り越えた。
この類の表現が多いです、何故って。
挫折して何も努力が実らず平凡な暮らしをしていますでは
記事を書く意味がないから。
その記事の当人は努力をして成功をつかんだのでしょう。
否定をするわけではありません、素晴らしいことです。
ただ、全員が全員努力をすれば成功して報われるとの状況はありません。
成功例ばかり見せられ、苦悩しても必ず報われるのお話ばかりを見ていると
当然ながら自分が成功していればいいのですが
いわゆる平坦、もしくは平凡であり、それらと比べて
自分の人生はどうなのか?となってしまうと精神衛生上よくない。
俺も頑張るぜ!という人なら違う話になるかもしれませんが
不運にも失敗し続けたら?ということも想定されます。
なので、記事の成功の体験はある程度、話の表現が大げさだと
考えた…